Text

Text

AI音楽について

2026年9月下旬、とあるバンドが炎上していた。

英語の発音や楽曲の完成度が高く、「日本人離れしている」と絶賛され、iTunesのオルタナティブ部門でも1位を獲得した。しかし、その楽曲が生成AIによるものではないか、それを人間が演奏しているフリをしているのではないかと批判が広がった。

AI自体は音楽業界でも長らく使われていた。従来は制作を補助する用途が中心だったが、近年は楽曲や歌声そのものを生成できるようになった。

今回の件をきっかけに「生成AI」に対するわたしの考えを、3つのセクションに分けて話していく。音楽以外にも当てはまる部分は多いと思う。

①生成AIに対する感じ方

少し前まで、AIで生成されたもののほとんどが、人間の制作物と見分けがついていた。不自然さが目立つことで、AIに対する違和感や嫌悪感を抱く人も多かったと思う。

しかし、最近は見分けがつかないものや、人間には実現が難しいようなコンテンツも散見する。これからさらにその数は増え、質も向上していくだろう。

人々は、それをAIだと気づかずに、もしくは気づきながら了承した上でコンテンツを楽しむようになってきている。AIであることと、その作品を楽しめるかどうかは、必ずしも一致しないということだ。

②生成AIにおけるモラルと責任

今回のバンドの件は、生成AIを使用したことを隠蔽し、あたかも自分たちの成果として振る舞っているのではないかという疑念が視聴者の不信感につながった。

生成AIの多くは、既存の著作物を含む膨大なデータを学習して成立している。その中には、著作者の許諾を得ずに利用されたものもある。たとえ法的に認められる場合でも、他者の権利や感情を軽視すれば、倫理的な問題が発生する。

制作過程の透明性を示すこと、他者(著作者や消費者など)に対して誠実であること、制作者が責任を持つことが重要であり、これからはそれ自体が大きな価値になっていくと考える。

③楽しさを奪わせない

あくまで個人的な感覚であるが、制作過程にこそ多くの楽しさが存在していると考えている。人間がやるにはあまりにも煩雑で苦しいものこそ、それが得意なAIに任せるというのが筋であり、まずは有益な使い方ではないだろうか。

「成功しようとおもうな、優秀であれ」がわたしのひとつの指針になっている。優秀であろうとする過程に熱中し、楽しいと思えれば、今を生きていることに他ならない。結果に執着して楽しさをAIに奪わせては、生き方の本質から外れているように感じ、私にはあまり理解できないのだ。

わたしの創作における考えや哲学については、また後日改めて投稿したいと思う。

人間の時間は有限だ。そんな時間という命を確保し、慈しむためにも、何をAIに任せ、何を自分の手に残すのか。本質を見極めながら今を生きていきたい。

Text

わたしの音楽遍歴

改めて、わたしの音楽遍歴について話したいと思います。

生まれは横浜、そこから長野県のど田舎(学年10人以下)で育ち、大学入学で上京しました。以下、ざっと時系列で書いてみました。

age 8 クラシックピアノを習い始める
age 13 ポップスピアノ、ギター、DTMを独学で始める
age 15 先輩に誘われ、高校で合唱部に入部
age 17 先生に誘われ、声楽を習い始める
age 18 東京藝術大学声楽科に入学(バリトン)
age 21 YouTubeで藝大の友人とカバー動画を投稿
age 22 藝大を卒業し、フリーランスで音楽講師を始める
age 23 ピアノ、ボーカルサポートを中心に音楽制作に携わる
age 24 YouTubeで音楽解説を始める(のちにドクターに)
age 25 初のオリジナル曲をリリース、ライブも行う
age 27 一時的に音楽事務所に所属(のちに独立)
age 28 オンラインレッスンを始める
age 29 メンバーシップを始める

藝大では声楽を専攻していたので、専門は歌だと思われがちですが、どちらかというとピアノに比重が傾きつつ、歌・ギター・ベース・音楽理論・作曲・編曲・DTMなど、かなり体系的に学んできました。

子供の頃は、歌うことがあまり好きではなく、高校の先輩や部活の外部の先生に誘われなかったら合唱・声楽を始めていなかったと思います。そもそもピアノ自体、親に誘われなければ始めていなかったので、周りに恵まれながら音楽を続けてきたのだなと、感謝が絶えません。

1日1時間のピアノの練習が嫌で、それでも半ば強制的にやらされていましたが、それによって今の自分の手の技術ができたのだと思います。

クラシック音楽を習いながら、ポップスは全て独学で学んできました。ポップスを始めたことで自主的に音楽に向かい合うようになり、気づいたらずっと音楽のことを考えて、練習して、取り組むようになっていました。

芸術としての音楽、エンタメとしての音楽、生活としての音楽、そのマージのようなことを常々考えながら活動をしています。基本的には、「芸術は爆発だ」の精神です。

フリーの音楽家として試行錯誤の日々ですが、そんな実践や思考などをメンバーのみなさんにお届けしていきたいと思います。

何度も言いますが、ご入会本当にありがとうございます。

Text

メンバーの実践をシェア

このたび、メンバーのみなさまの演奏や実践を共有する、Communityページをつくりました。

日々の練習や演奏、制作したもの、実践を記録した文章など、完成したものでなくても大丈夫です。

掲載をご希望の方は、ニックネームと実践内容(YouTube動画のリンク・音声・文章など)を、お気軽にContactにお送りください。もしかすると、投稿にはKaito Tomitaからひとこと感想が添えられるかも?

そして、なんとさっそく「かいとんさん」が投稿してくれています。

みなさまの実践を楽しみにしています。

Text

「歌うように」の魔法

「歌うように」ピアノを弾く。そのために、わたしは歌を学んでいるのではないか、と度々思う。

みなさまご存知「のだめカンタービレ」。毎年ドラマから映画まで一周するぐらい大好きなお話だ。ピアニストののだめは、いつも口先を尖らせて、まるで歌うようにピアノを奏でている。

“Cantabile(カンタービレ)”はイタリア語、音楽用語で「歌うように」を意味する。この「歌うように」こそが、音楽に魔法をかけ、インスピレショーンを増大させる感覚なのだ。

東京藝術大学では主に声楽を学んだ。歌が嫌になるくらい歌を学んできた。多くの才能を前に、わたしは歌が苦手なのだという認識を抱き、歌うと心身が苦しくて、毎日途方に暮れた。

でも、歌うことをやめなかった。

一番の理由は、「歌うように」という音楽表現があったからだと思う。歌を練習すればするほど、ピアノがみるみる上達した。作曲がするする降りてくるようになった。音楽への解像度が格段に高くなった。

そんな音楽への探究を昇華することができた作品が『歌中』だ。

もしあなたが、歌うことが「恥ずかしい、苦手だ、やりたくない」と思っていたとしても、それでも歌うことを強くお勧めしたい。そんなコンプレックスこそが、音楽探究の大きな入り口になるだろう。

どこまで行けるだろう
わたしに出会いたい
この歌 音楽の中で

Text

音楽生活における、0と100

0-100 (Zero Hyaku)

このメンバーシップのネーミングの発端となった、わたしが音楽で大切にしている、『0と100』について話します。

0とは、安らかで動じないこと。 100とは、狂気を抱き、成長を求め続けること。

この二つを端に置き、天秤やシーソーのようにバランスを取りながら進んでいく。

つい頑張りすぎてしまう。そのおかげで成長したことも多いが、空回り、遠回りしてしまったこともたくさんある。

ある年の始まり、「もし頑張らなかったらどうなるんだろう」と啓示のようなものを感じ、「頑張らない」をモットーに掲げて過ごしてみた。すると、不思議なほど何もかもがうまく回り始めた。肩の力が抜けて、自然体でオープンに音楽活動をすることができた。

Dr. Kaito Tomitaの活動も、それがきっかけに始まった。頑張りすぎる、完璧主義のあまり、評価を恐れて表に出せずにいた自分自身を、少しずつ手放すことができた。

『0-100』はいろんな言い換えができると思う。 がんばらない-がんばる、癒し-刺激、ぼーっとする-没頭する、脱力-執着・・・

このダイナミクス(振れ幅)こそが、音楽生活、そして音楽そのものを自由にさせてくれる。

あなたの『0-100』は何ですか。

Welcome to Membership 0-100.

上部へスクロール